生活

「勉強しなさい!」が、なぜよくないのか

10/22/2021

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結論

  • 具体的でない助言は、なんの意味もない
  • 勉強してほしいのであれば、具体的に
  • 自分も丸つけなど、勉強に加担する
  • 小学校入学前から、勉強をする癖をつける

「勉強しなさい」という魔法の言葉

わたしは「勉強しろ」と言われながら育てられました。

その言葉は、BGMのようで自分の中に全く響くことはありませんでした。

一部の人は、子供を産む選択をします。

その結果、多くの親は子供に良い成績を取るように頑張って欲しいと願います。

ただし、この勉強ができるということを望まない親がいるのも事実です。

一般論としての大多数は勉強することにより、様々なモノをクリエイトする人材になります。

単純に、勉強しろというBGMを流せば、勉強をするようになりません。

そして、勉強しないと一般的に成績は良くなりません。

練習もせずに好成績を残せる、プロフェッショナルがいないのと同じ原理です。

親は、勉強のやり方を教える必要があると言えます。

勉強のやり方とは、どのようなものなのでしょうか。

例えば、読み書き計算を教えるというのも、1つの勉強のやり方といえます。

企業で最も重要なことは、組織の存続であると言われてます。

有名な起業家がワンマン経営で良質な成績を収めた場合、その起業家がいなくなっても良質な経営を存続していける「仕組み」を作ることが重要です。

その仕組とは、勉強の場合は、勉強をし続ける仕組みとも言えます。

若い頃からの習慣

習慣がどのように形成されるのかはよくわかりませんが、生活習慣が大きく作用しているのは、間違いではないでしょう。

例えば、若い頃からお菓子を食べる習慣があれば、その習慣は大人になってからも継続します。

テレビを見る習慣があれば、おそらくその習慣は継続します。

読書の習慣があれば、その習慣もおそらく大人になっても継続します。

例えば、トイレのあとは手洗いをするように、多くの人は習慣化されています。

トイレのあとに、何も考えずに手洗いをする行為は、大人になってからも継続されます。

つまり、習慣化とはわざわざ考えることなく、脊髄反射で行動しているということになります。

勉強の場合は、勉強の内容によらず、なにかしらの勉強を始めるという習慣化が必要になります。

子供の頃から、遊んでばかりで、家の中ではゲームやテレビを見て過ごした、という状況では恐らくですが、勉強を習慣化するのは難しいでしょう。

習慣化が、いつ頃から形成されるのかはわかりません。

努力次第では、おとなになってからでも習慣化は可能です。

その習慣化には強い自制が必要になったりするでしょう。

子供の頃からの習慣化は、大人になってからも努力することなく継続する可能性を秘めています。

近年の研究では、教育は早ければ早いほどよいとされています。

さらには、胎教の話まで出ているのが事実です。

これらの話を信じるか信じないか、というよりも子供がある程度勉強できる年代になれば、勉強をするという行為を習慣化させることが必要になります。

当然、突然子供だからといって、勉強しなさいと言っても勉強しません。

その前段階として、一緒に読書をしたり、神経衰弱のような簡単なゲームをしたり、勉強するという行為を努力して行うものではないということを「教える」ことが必要です。

自分も努力する必要がある

「勉強しなさい」といって、勉強するのであれば、世の中の多くの人はもっと賢くなっているはずです。

そして、わたしのように、多くの勉強できない人たちは、勉強しなさいといって育てられたかもしれません。

もうすこし具体的な助言ができると、良いのかもしれません。

例えば、算数のこのプリントの○ページをやってみて、出来たら丸するから教えてね、といった具合です。

つまり、勉強ができるようにさせたい親もある程度の努力が必要になります。

丸つけも、大変な作業です。

でも、子供は勉強ができるに従い、丸の数が増えて来ます。

丸をもらえると、アンオフィシャルな自宅での勉強でも嬉しいものです。

けれども、子供が勉強してい傍で、テレビを見たりスマホを見ているようでは、子供はとても勉強する気になれないのは、想像に容易いです。

成績の良い子供は、勉強しなさいと言われていないのか?

よく、東大生は勉強しなさいと言われたことはない、などとテレビで言っていたりします。

ホントにそうなのかは分かりませんが、多分本当なのだと思います。

けど、半分ウソなんじゃないか、とも思います。

結局、大きくなってから「勉強しなさい」と言われた体験がないだけで、小さな頃から勉強する癖づけはされていたのではないか、と思います。

成績優秀なかたでも、いろんなタイプがあります。

勉強はできるけど、コミュニケーション力が取れない人。

勉強はできるけど、出された課題しか出来ない人、などがあります。

ホントに賢い人というのは「問題設定能力」だと思います。

如何に問いを立てるか、というところから学問は始まるような気がします。

疑問をもち、その疑問を解決するために勉強をする。

そんな人材になるべく、関わっていけたら良いな、と思います。

実際は難しいですけど。

まとめ

  • 勉強しなさいよりも、具体的に
  • 勉強したら、そのプロセスを褒める
  • 問を立てるように、いろんな体験をする
  • 親も、努力する

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  • この記事を書いた人

R-NURSE

関東地方の総合病院で働いている、臨床看護師です。救急系の集中治療室を経て、現在総合診療内科勤務です。診断とか研究とか、投資とか興味は色々です。

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